501~550

慾(よく)入ると邪気湧く
邪気湧くと邪霊集まるぞ

肉を魂とせよ
魂を魂の魂と向上させよ
ひらけ来るぞ

何事もとがむでないぞ
とがむ心、天狗ぞ

神の前にへり下り、へり下っても尚(なお)過ぎると云ふことないのぢゃ

人間は、色とりどりそれぞれの考へ方を自由に与へてあるのざから、無理に引張ったり、教へたりするでないぞ

今あるもの、今生きてゐるものは、たとへ極悪ざと見えても、それは許されてゐるのであるから、在る(ある)のであるぞ
他を排すでないぞ

祈りとは意が乗ることぞ
霊の霊と霊と体と合流して一つの生命となることぞ
実力であるぞ

神がうつらぬと申してゐるが、心をやはらかくしてマカセ切れば刻まれるぞ
平か(たいらか)にすれば正しく写り、凸凹(デコボコ)すれば曲ってうつる
神の前に固くなってはならぬ

人間は肉体をもってゐる間でも、その霊は、霊の国に住んで居り、霊の霊は、霊の霊の世界に住んでゐるのであるぞ
この道理よくわきまへよ

愛は脈うってゐるぞ
真は呼吸してゐるぞ
肉体にあっては肺臓は呼吸し、心臓は脈うつ、この二つが一つであって、肉体を生命する
喜びと三つが一つであるのぞ
霊にあっては霊の心臓、霊の肺臓、よろこびあるぞ

510

祈りは弥栄(いやさか)であり、限りない生活であるぞ
生命のイキであるぞ
祈りから総てのもの生れるぞ
誠の喜びの祈りからは ・が生命し、かげの祈りからは ◯ が生命するぞ
人祈れば神祈り、人為せば神なる道理ぢゃ

禁慾は神の御旨でないぞ
慾を浄化して、生めよ、産めよ
今の人民、慾の聖化を忘れて御座るぞ
慾は無限に拡がり、次々に新しきもの生み出すぞ
慾を導けよ

自分だけならば五尺の身体、五十年の生命であるが、霊を知り、宇宙の意志を知り、神にとけ入ったならば、無限大の身体、無限の生命となるぞ
マコトの嬉し嬉しのよろこびとなるのであるぞ

キが到ればモノが到る
モノを求める前にキを求めよ

めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり
人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。
・に向かないでウロウロ
草木より、なり下がってゐるでないか

為すとは祈ること
人の為に祈るは、己の為に祈ること
今の人民、祈り足らん

天界に行く門は輝き、幽界に行く門は闇であるぞ
闇の門はとざされ、光の門は開かれてゐるぞ
天界は昇り易く、幽界にはおちにくいぞ

神と金と二つに仕へることは出来ん、そのどちらかに仕へねばならんと、今迄は説かしてゐたのであるが、それは段階の低い信仰であるぞ
影しか判らんから、時節が来て居らんから、さう説かしてゐたのであるが、この度、時節到来したので、マコトの道理 説いてきかすのぢゃ
神と金と共に仕へまつるとは、肉と霊と共に栄えて嬉し嬉しとなることぞ
嬉し嬉しとはそのことであるぞ
神と金と二つとも得ること嬉しいであろうがな
その次には霊の霊とも共に仕へまつれよ
まつれるのであるぞ
これが、まことの正しき理(ミチ)であるぞ
今迄の信仰は何処かにさびしき、もの足りなさかあったであらうが
片親がなかったからぞ
天に仕へるか、地に仕へるかであったからぞ
この道はアメツチの道ざと知らしてあらうがな
清くして富むのがまことぢゃ
地も富まねばならんのぢゃと申してあらうが
これから先は金もうけばかりも出来ん
今迄のやうな神信心ばかりも出来ん
神の理(ミチ)を進むものは嫌でも金がたまるのぢゃ
金がたまらねば深く省みよ
理に外れて御座るぞ。

人は罪の子でない、喜びの子ぞ

宇宙は人間の心のままと申してあらうが
宇宙は未完成のものと申してあらうが
永遠に未完成であり、弥栄(いやさか)であるぞ
そこに生命あり、喜びあるのぢゃ
大神の中で、宇宙はなりなりてゐるのであるから、ナリ、永遠になるのであるぞ
不変の中に千変万化、自由自在の存在を与へてあるのぢゃ

520

人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ
悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ
皆々、極楽行きぢゃ
極楽にもピンからキリまであるぞ
神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ

心の世界を整理せよ
そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ

神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる

キとは気の気であるぞ

おもひ(想念)の世界が天ぞ
にくの世界が地ぞ
おもひ起って肉体動くぞ
肉体動いておもひ動くこともあるぞ

三が道と申してあろう
陰陽二元でないぞ、三元ぞ

今迄の宗教は肉体を悪と申し、心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであること合点か
一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。
地獄ないこと合点か
悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か
合点ぢゃナア

心の守護神は肉体ぢゃと申してあらうがな
肉体が心を守ってゐるのであるが、ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ
何処迄も下に従ふのぢゃ
順乱すと悪となるぞ

天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、まだまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ
その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ
幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ
地獄でないぞ

今が過去で、今が未来ぞ
時間にふみ迷ふなよ
空間に心ふみ迷ふでないぞ
皮一枚ぬいで心でよく考へなされ

530

いつもお日様 出てゐるでないか
月輝いて御座るでないか

小の中に大あるぞ
無の中に有(ウ)有るぞ
もの益々小さければ、益々清ければ、益々内に大きなものあり、益々純なものあるぞ
神はそなたの中にあるが外にもあると申してあらうがな

如何なる天国も自分でつくるのぞ
そろばん捨てよと申してあらうがな

いらんものは形が変って来る
新しき生命 湧き出づる(いずる)のであるぞ

自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ

弥栄(いやさか)の道、神の喜び人間の喜びの中にあるぞ

宗教に囚はれてはならん
道に囚はれてはならん
喜びに生きて、喜びに囚はれるなよ
お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛でないぞ
理(ミチ)でないぞ

喜びが理であるぞ
嬉し嬉しの理、早う合点せよ

生命栄えるもの皆喜びであるぞ
信仰とは、その喜びの中にとけ入ることぞ
生も死もなくなるのざ
時間や空間を入れるから、智(血)通はなくなるのぞ

愛は真と和して愛と生き、真は愛と和し、愛によって真の力現はれるなれど、愛のみでも愛であるぞ
真のみでも真であるぞ
只(ただ)はたらき無いのざ
能(ハタラキ)ないもの力ないぞ、喜びないぞ

540

悪は悪にのみ働きかけ得るのであるぞ
善に向って働いても、善はビクともせんのぢゃ
ビクつくのは、悪に引込まれるのは、己に悪あるからぞ
合せ鏡と申してあらうが
悪の気断ちて下されと申しておらう

心の鏡の凸凹なくなれば悪うつらないのざ
悪はなきものぞ
無きとは力無きことぞ

悪あればこそ向上するのであるぞ
悔い改め得て弥栄するのであるぞ
人間の能(ハタラキ)あるのざぞ

天地の中間を中界と申すぞ
天の息吹きと地の息吹きの中間ぞ
天国へ行くのも、行かんのも先づ落ちつく、死後の始めての世界であるぞ

幽界と申すのは道を外れた国のことざと知らしてあらうがな
地獄無いと申してあらうがな
このこと間違はんやうに、地獄地獄の言葉、やめて下されよ
言葉からモノ生むのぞ
只(ただ)モノが違ふのみであるから、人間の心が神に通ずるときは喜びとなり、幽人に通ずるときは悲しみとなるのであるぞ

天人に結婚もあれば仕事もあるぞ
死も亦(また)あるのであるぞ
死とは住む段階の違ふ場合に起る現象ぞ
死とは生きかわることぞ

人間は皆、かみかかってゐるのであるぞ
かみかかってゐないもの一人も居らんのぢゃ
かみかからんものは呼吸せんのぢゃ
このこと判りて居らうがな

霊人は人間の心の中に住んでゐるのであるぞ
心を肉体として住んでゐるのぢゃ
その中に又住んでゐるのぢゃ
ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ
霊人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働き栄えるのぢゃぞ
神界のことも判る道理ぢゃ
幽界のことも判る道理ぢゃ
人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ
ろくなことないのぢゃ
かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかかり結構ぢゃなあ
まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか

友つくれよ
友つくることは己(おのれ)つくることぞ、広めることぞ
己を友の心の中に入れることぞ

和つくれ
和はむすびぞ
何も彼も(なにもかも)生れるぞ
いきするぞ

550

  • 最終更新:2018-02-16 21:14:38

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