401~450

念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ
思想は思想ぞ
念とは力であるぞ
実在であるぞ
喜びであるぞ
喜びは神ぞ
弥栄(いやさか)

これぞと思ふ人があったら、その理(ミチ)の人について御座れよ
一寸先見へん人民ぢゃ、先達の後からついて御座れ
それが一番よいことぢゃ
人、見出すこと六ヶ敷い(むずかしい)のう
十年、二十年行じても、目あて違ってゐたら何にもならんぞ
このほうの道へ御座れ
正しき光の道によれよ
十日で、一月(一ヶ月)で見ちがへる程になるぞ
死んだ気で神示(フデ)をそなたの身にうつせよ
涙流せよ、汗流せ、血流せよ

天災や地変は大き肉体の応急処置の現れであるぞ
部分的に、人間苦しめる様に思ふてはならん
一日一度は便所へ行かなならんであろうがな
人間、この世の五十年をもととして考へるから判らなくなるのざ
永遠弥栄の生命、早う体得結構

その人によってふさわしい行がある
誰でも同じでない
一合食べる人もあれば一升食べる人もあるぞ
身につかんもの、身につかん行は、いくらしても何もならん
いらん苦労はいらんと申してあろう

風呂には時々入るが、魂の風呂に行く人 少ないぞ
より高い聖所へ参りて魂のアカ落せよ
神示よんでアカ落して下されよ
アカ落さずに神の光見えんと申して、おかげないと、われよし申して御座るなれど、風呂に入らずに、アカつくとは怪しからん(けしからん)と申すのと同じでないか
何故に判らんのぢゃ

全体の為 奉仕するはよいが、自分すてて全体なく、自分ないぞ
全体を生かし、全体と共に部分の自分が弥栄える(いやさかえる)のであるぞ
早合点(はやがてん) 禁物

まことの光の道に行き、進めよ
ここぞと見極めたら、理解に向ってひたすらに進まねばならん
理屈いらん
宇宙は此の方(このほう)の中にあるのぢゃ
此の方(このほう)ぢゃ

世が段々せまって悪くなるように申してゐるが、それは局部的のこと
大局から見れば、よきに向って弥栄えて(いやさかえて)ゐるぞ
夏が暑いと申してブツブツ申すでないぞ
秋になるぞ
冬もあるぞ
冬ばかりと考へるでないぞ
やがては春が訪れるのぢゃ
いづれも嬉し嬉しとなる仕組

どうしたらよいのぢゃ、神の云ふこときくから助けてくれと申すもの沢山でてくるが、何も六ヶ敷い(むずかしい)こと神は申さん
現在を足場として一歩づつ進めばよいのぢゃ
それでは食って行けんと申すものあるが、神はあり余るほど与へてあるでないか
何故、手出さんのぢゃ
与へたもののみが自分のものぞ
今の人民、余っても足らんと考へて、むさぶりてゐるぞ
幸福与へてあるに何故手出さんのぢゃ
曲げてとるのぢゃ
心の目ひらけよ
ゴモク投げ出せよ
我の強い守護神どの、もう我の世はすんだぞ
我出すほど苦しくなるのぢゃ

見へる幸福には限りがあり、見へぬ幸福は永遠であるぞ
理(ミチ)にいそしめ
理(ミチ)にとけ入れよ
モノは無くなるぞ
霊は永遠に弥栄えるぞ

410

毎日々々掃除してもホコリはたまる
絶えず心の掃除よいか、洗濯よいか

目に見へず、上、下、左、右、前、後から何となくせまってくるものをサニワせよ
サニワして受けいれねばならん
自分の魂をはぐくみ、生長さしてくれる大切なものは目に見へんところから流れてくるぞ
和せよ、調和せよ
調和とは、上から、より清い所から流れて来るものに従ふことぞ

まこと求めるならば、これと見届けたならば、その場で御用与へる仕組

行く水にも雲にも咲く花にも神の御心(みこころ)あるぞ
それ見る目ないからわからんのぢゃ
掃除すれば判る
掃除結構

拝むは拝まんよりはましであるぞ
しかし拝んでばかりでは病気は治らん
金はもうからん
拝むばかりで金もうけ出来たり病気治ったりすると思ふたら間違ひぞ
理(ミチ)にいそしめ
理(ミチ)ゆくところ喜びあるぞ
喜びあるから病気も治るのぢゃ
金も出てくるのぢゃ
おかげあるのぢゃ
喜び神ぢゃ
タテには神と神界と和し、ヨコには人と環境と大和して行くところにこそ、生きの生命のウレシウレシあるのであるぞ

神にささげるには、自分に与へられたものの中から ささげねばならんぞ
むさぶり取ったり横取りしたり、自分のものでないもの、もうけたカスを神にささげて威張ってゐるが、それはささげ物にならん
神は受け給わんぞ
泥棒のお残りちょうだいは真平(まっぴら)ぢゃ
自分のもの先づ(まず)ささげるから弥栄える(いやさかえる)のぞ
おかげ万倍間違ひなし

一足飛びには行かん
一歩々々(いっぽいっぽ)と申してあろう
一度に神様を知りたいと申してもさうは行かん
一年生からぢゃ
出直し出直し
子供に大学のことは判らん
十貫の荷物はかつげん道理
進むには、それ相当の苦労と努力いるぞ
あぐらかいて、ふところ手してゐては出来ん
時もいるぞ
金もいるぞ
汗もいるぞ
血もいるぞ
涙もいるぞ
よいもの程 値が高い

今を元とし自分をもととして善ぢゃ悪ぢゃと申してはならん

よき人民 苦しみ、悪い人民 楽している
神も仏もないのぢゃと申してゐるが、それは人民の近目ぞ
一方的の見方ぞ
長い目で見よと申してあろうが
永遠のことわり わきまへよと申してあろうが
支払い窓は金くれるところ、預け口は金とるところ
同じ銀行でも部分的には、逆さのことしてゐるでないか
全体と永遠を見ねば ものごとは判らんぞ
よく心得よ

今は今の姿が真実ぞ
そなたの頭で割り切れんと申してブツブツ申すでないぞ
あるものそのものが真実であるぞ
そのあるものを拝み、祝福して、其処から出発せよ
現在を祝福することは過去を、未来を、総てを祝福することぞ
たとへ如何なる現在も、その現在を祝福せねばならん
喜びせねばならん
喜びもとと申してあらうがな

420

一切に向って涙せよ
ざんげせよ
一切を受け入れ、一切を感謝せよ
一切が自分であるぞ
一切が喜びであるぞ

理屈は一方的のものぞ
どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ

他の為に苦労することは喜びであるぞ
全体のために働くことは喜びぞ
光の生命ぞ

誰でも重荷負はせてあるのぢゃ
重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ
この道理、涙で笑って汗で喜べよ

早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ
人間の近慾(ちかよく)と申すもの
神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ
まいた種ぢゃ、必ず実る
誰も横取りはせんぞ
万倍になってそなたにかへると申してあらう

未来にもえつつ現在にもえよ
神相手に悠々と天地に歩め

道は自分で歩まねばならん
自分の口で食物噛まねばならん
かみしめよ

善に神の心あり
悪にも神の心ある

プラスとマイナスと和合せねばならん
只の和合ではムになって力出んぞ
今迄の和合のやり方ではならん
喜びの和合、融け合ふ和合、かみむすぶ(神結ぶ)和合でないと、少しでも曇りありたら和合でないぞ
こらへこらへてゐるのでは和合でないぞ
今迄の和合の仕方ではカスあるであらうがな
悪の和合であるぞ

はじめは目標(メアテ)つくって進まんと、行ったり来たり同じ道をドウドウめぐりぢゃ
掴める所から掴んで行けよ
拝んで行けよ

430

気づいたことから早う改めて下されよ
トコトン迄行って神がさすのでは人間の面目ないから、人間同士でよく致し下されよ

只(ただ)有難いだけではならん
仕事せねばならん
努力せねばならん
ぢっとしてゐては進めん道理ぢゃ

あかりつけなければ闇のよは歩けんぞ
それぞれのあかりとなれよ
油は神示(ふで)ぢゃ、油はつきぬ
いくらでもあかりつけて下されよ

マツリから出直せよと申してあらう
結構に大きまつり、小さいまつり、まつろひて下されよ

神心になれば、神ありやかに見えるぞ

マツリせねば真理は通らん
子供にまつろはねば子供導けん道理

自分判れば一切ありやか

神の申すやうにすれば神が護る(まもる)から、何事も思ふ様にスラリスラリと心配なく出て来るぞ

区別と順をわきまへて居れば、何様を拝んでもよい
時、所、位に応じて誤らねば弥栄(いやさか)えるぞ

同じ愛、同じ想念のものは自ら集まって結ばれる

他力の中に自力あるのぞ
自分ばかりでは成就せんぞ
足ふみばかり

440

愛は愛のみでは愛でないぞ
真は真のみでは真でないぞと申してあらうが
まつり合せて ・入れて愛となり真となるのぞ
愛のみ出ると悪となり、真のみ出ると偽(ギ)となることあるぞ
偽(イツワ)りと悪とまつりて善の働きすることあるぞ
心せよ

マボロシとは人間智慧のこと、理屈のことぢゃ
理屈とは悪の学のことぢゃ
理(みち)でなければならぬ

学出すから、我出すから行き詰るのぞ
生れ赤児と申すのは学も我も出さん水晶のことぞ
ねり直して澄んだ水晶結構

親の心判ったら手伝ひせねばならん
云はれんさきにするものぢゃと申してあらうが
いつ迄も小便かけてゐてはならんぞ

人間は罪の子でないぞ
喜びの子ぞ
神の子ぞ
神の子なればこそ悔い改めねばならんぞ

真なき愛の道、悲しみの喜びからも生れることあるぞ
それは罪の子と申すのであるぞ

仕事に神示(フデ)生かして生活せよ
生活がフデぢゃ
判りたか

小さいことから始めよ
小乗の行と馬鹿にするでないぞ
小乗の行から大乗の真理を掴むのであるぞ

理屈で進んで行くと、しまひには共喰(ともぐい)から、われとわれを喰ふことになるぞ

神様を真剣に求めれば、神様は人間様を真剣に導いて下さるぞ
結構に導いて下さるぞ

450

  • 最終更新:2018-02-16 21:13:24

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