351~400

神から出るものは理(ミチ)にきまってゐるぞ
この平凡の理(ミチ)の道理が何故に判らんのぢゃ
得心出来んのぢゃ
それに従へばこそ向上、弥栄(いやさか)するのぢゃ
天狗ざから、慢心するから、理(ミチ)がなくなるから行き詰るのぢゃ

気長にやれと申してあろう
長い苦心なければ よいもの出来ん
この世で出来終らねば、あの世までもちつづけても やりつづけてもよいのぢゃ
そなた達はあまりにも気が短いぞ
それではならんのう

マコトの生活は永遠性もってゐるぞ
これないものは宗道でないぞ

宇宙のすべてがつながりであるぞ
石でも水でも草でも木でも動物でもすべてがつながりぢゃ
手と頭のようなもんぢゃ
拝み合へよ
親しみ合へよ
和せよ
和すと自分となるのぢゃぞ
自分 大きく、明るくなるのぢゃ
豊かにうれしうれしぢゃ

赤いものの中にゐると赤くなって行く
理(ミチ)に向ってゐると、いつの間にか神の気いただくぞ
神の光がいただけるのぢゃ

二度三度、話きいたり、おろがんだり(拝んだり)くらいで理は判らん
神は解らん
体験せねばならん

一方的では何事も成就せん
もちつもたれつであると申してあろう

今の自分の環境がどんなであろうと、それは事実であるぞ
境遇に不足申すなよ
現在を足場として境遇を美化し、善化してすすめ
其処にこそ神の光、よろこび現れるのぢゃ
逃げ道つくれば迷ひの道に入るぞ

楽に得たもの、楽に失う

信仰の始めは感情に支配されがちぢゃ
理智を強く働かせねばならんぞ

360

人間は絶えずけがれてくる
けがれは清めることによって、あらたまる
厄も清めよ
福も清めよ

想念は永遠にはたらくから、悪想念は早く清算しなければならんぞ

中の霊は天国へ行っても、外の霊はこの世に残るぞ、残ることあるぞ
残ってこの世の事物にうつって同じこと、所業をくりかへすことあるぞ
早く洗濯せよと申してあろうがな

人間も生れかわっても死にかわっても、中々に悪いくせは直らんもんぢゃぞ
それを少しづつ直してかからねばならん
努力次第で漸次(ぜんじ)直るのぢゃぞ

信仰は霊、芸術は体ぞ

今の科学は科学のことは判るが、それより上のことは判らん
今の科学はあるものがあると云ふことだけしか判らんのぢゃ

よい求めにはよい感応、よい感応によい働き、よい理解となり、よい生活 生まれる
間違った求めには間違った神、間違った生活 生まれるぞ
道理ぢゃナア

窮屈であってはならん
しかつめらしく固くなってゐてはならんぞ
笑ひの道、喜びの道にこそ神のハタラキあるのぢゃ

宿命は宿されたもの、一つのワクに入ってゐるのであるぞ
運命は自分で切りひらくこと出来るぞ
磨け磨け、ミタマ磨き結構
信念だけでは行き詰るぞ

草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神ぢゃ
食物拝めば食物が神となる
心せよ

370

神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与へようとしてゐるのぢゃ
局都的、瞬間的に見て判らんこと多いぞ

おかげは、すぐにはないものと思へ
すぐのおかげは下級霊
まゆにつばせよ、考へよ

現在の環境を甘受せよと申してあるが、甘受だけでは足らん
それに感謝せよ
積極的に感謝し、天地の恩に報じねばならん

誠の真理を知らぬ人間に神は判らん

念じつつやれ
神の為と念じつつやれば神のためとなる
小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ

自分と云ふことが強くなるから発展ないのぢゃ
行き止まるのぢゃ
われよしとなるのぢゃ
調和が神の現れであるぞ
霊と調和せよ
肉体と調和せよ
人と調和せよ
食物、住居と調和せよ
世界と調和せよ
うれしうれしぞ
一生かかってもよいぞ
おそくないのぢゃ

自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん
悪いくせ直さねばならん
これが第一歩、土台ぢゃぞよ

よきことは
人にゆづりて
人をほめ
人たてるこそ
人の人なる

敬愛の
まこと心に
まことのり
まこと行ふ
人ぞ人なる

何事に向っても先づ感謝せよ
ありがたいと思へ
始めはマネごとでもよいぞ
結構と思へ
幸(さち)と思へ
そこに神の力 加はるぞ
道は感謝からぞ
不足申せば不足うつるぞ
心のままとくどう申してあろうが

380

病気でないと思へ
弥栄(いやさか)と思へ
病治るモト生れるぞ
キがもとぞ
何事くるとも何クソと思へ
神の力 加はるぞ
おそれはおそれ生むぞと申してあろうが

一聞いて十さとらねばならんぞ
今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、肚(ハラ)でさとりて下されよと申してあろう

相手八と出たら二と受けよ
人民と申すものはモノに囚われるから何事も判らんから、十二と出、二十と出、三十六と出たらポカンとして判らんことになるぞ
十二と出たら一段ケタ上げて八十八と受けよ
又十二と受けるテもあるぞ
二十と出たら八十と和せよ
立体になれば それだけ自由になるのざ
世界広くなるのぞ
早う立体さとりくれよ

思想と申すのは広い意味で、太神から出てゐるのではあるが、幽界からの力が強く加わってゐるのぢゃ

ネン(・念)と申すのは神界からの直々であるぞ
悪の気、断たねばネンとはならんぞ

天には天の道、地には地の道、人民には人民の道あると申してあろう
同じ道であるが違ふのぞ
地にうつし、人民にうつす時は、地の約束(法則)、人民の約束(法則)に従ふのぞ
約束(法則)は神でも破れんのであるぞ
次元違ふのであるから違ってくるぞ
違ふのが真実であるぞ
それを同じに説いたのが悪の教
同じと思ふのが悪の考へ方であるぞ

上から来るものは光となって流れてくるのざ
光に本来影はないのであるが、動くから影がうまれる
それを影でない影と申すぞ
悪でない悪あると申してあろうがな

天には天の自由、地には地の自由、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、それぞれの自由あるぞ
その性の高さ、清さ、大きさなどによって、それぞれの制限された自由あるぞ
自由あればこそ動くぞ
自由とは弥栄(いやさか)ぞ

光は神から人民に与へられてゐる
光に向かふから照らされる
光は・、真、善、美、愛となり、又そのうらの ◯、疑、悪、醜、憎となり現はれるぞ
御用の善となり、御用の悪となる
悪にくむは外道の善
外道とは上からの光が一度人民界にうつり、人民界の自由の範囲に於ける凸凹にうつり、それが再び霊界にうつる
それが幽界と申してあらう
その幽界から更に人民界にうつったものが外道の善となり、外道の悪となるのざ
善にも外道あるぞ
心得よ

光は天のみでなく、地からも人民からも、すべて生命あるものから出てゐるのであるが、その喜びの度に正比例してのものであるから、小さい生命からの光は判らんのであるぞ

390

いくさ(戦)は善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさあるぞ
新しき御代が到来しても いくさはなくならん
いくさも歩みぞ、弥栄ぞ
ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ
人殺し、生命殺すようないくさは外道
やればやる程はげしくなるぞ
正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ
今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ
天国へのいくさもあるぞ
幽界へのいくさもあるぞ
人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう
外道なくして下されよ
外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ

外道の武器すてよ
外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器とせよ
かへられるでないか

与へよ、与へよ、与へよ、与へる政治と申してあろうが

戦争か平和かと人民申してゐるなれど、道はその二つでないぞ、三が道と、くどう申してあろう

水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかんのか
神示(ふで)よく読めば示してあるのであるぞ
ほかに道ないと きめてかかるから判らんのざ
生れ赤児になれば判るぞ
知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとならん
自分が体得し、自分から湧き出ねば自分のものでないぞ
つけ焼刃は危ない、危ない
気狂ひに刃物ぞ

平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな
神人共にとけ合ふことぞ
外道でない善と悪ととけ合ふのぞ
善のみで善ならず
悪のみで悪ならず
外道は夜明けくれば消えて了ふ(しまう)ぞ
夜明けの御用大切と申してあろうが
外道の悪 殺すでないぞ
抱き参らすから消えるのであるぞ

天のこと地にうつすときは、地の力出るように、地の息吹き(いぶき)通ふように、弥栄するように、念を地の力と現はれるように、正しくうつして下されよ
邪気入ってはならん

今の武器は幽界の裏打ちあるぞ
神界の裏打ちある武器でなくてはならん
まことの武器ぞ
ヒックリであるぞ
念からつくり出せよ
その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ

念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ
中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん

念が新しき武器であるぞ
それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど、ものごとには順と時あるぞ
もとのキから改めて下されよ
尊き御役

400

  • 最終更新:2018-02-16 21:12:51

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