301~350

内の自分は神であるが、外の自分は先祖であるぞ
祖先おろそかにするでないぞ
先祖尊ぶことは自分を尊ぶことぞ
外の自分と申しても肉体ばかりでないぞ
肉体霊も外の自分であるぞ

信じ切るからこそ飛躍するのぢゃぞ
不信に進歩弥栄(しんぽいやさか)ないぞ

まかせ切るからこそ神となるのぢゃ
神に通づるのぢゃ
他力で自力であるぞ

真剣なければ百年たっても同じ所ウヨウヨぢゃ
一歩も進まん
進まんことはおくれていることぞ
真剣なれば失敗してもよいと申してあろうが
省みることによって更に数倍することが得られるのであるぞ
いい加減が一旦成功しても土台ないからウタカタぢゃ

無くて七癖
七七四十九癖
悪い癖 直して下されよ
天国へ行く鍵ぞ
直せば直しただけ外へひびくものが、かわって来るぞ
よくなってくるぞ
かわって来れば、外からくるもの、自分に来るもの、かわってくるぞ
よくなってくるぞ
幸となるぞ
よろこび満ち満つぞ
神みちみちて天国ぢゃ

一升桝もってきて一斗入れよと人民申しているが、神は一斗も二斗も入れてやりたいなれど、一升桝には一升しか入らん
大き桝もって来い
頂くには頂くだけの資格いるぞ

一歩づつ進め
一歩づつ絶えず進めよ
それより他に道はないのぢゃ

自分はよいが、世の中が悪いのぢゃと申しているが、その自分省みよ
自分が神の理(ミチ)にあり、真実であるならば、世の中は悪くないぞ
輝いているぞ

自分にふりかかって来る一切のものは最善のものと思へ
如何なる(いかなる)悪いことも それは最善のものであるぞ
この道理よくわきまへて下されよ
真の神を理解すれば、一切の幸福 得られるのぢゃ

世を呪ふことは自分を呪ふこと
世間や他人を恨むことは自分を恨むこと
このこと悟れば一切はそこからひらけくるぞ

310

十のもの受けるには十の努力

どんな草でも木でも その草木でなければならん御用あるぞ
だから生きているのぢゃ
そのはたらき御用忘れるから苦しむ、行き詰る
御用忘れるから亡びるのぢゃ
個人は個人の、一家は一家の、国は国の御用がある
御用大切、御用結構

自分の為ばかりの祈りには、自分だけの神しか出て来ない
悪の祈りには悪の神
善の祈りには善の神

思ふようにならんのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからぞ
今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ
神示(ふで)よめよ
道(ミチ)世界にうつせよ
早ううつせよ
早ううつせよ
人間の智のみでは世界はよくならん
裏側だけ清めても総体は清まらん
理(ミチ)にめざめねばならん

愛にも内のものと外のものとがある
愛と申せば何でもよいと思ふていてはならん
愛の悪もあるぞ

総てこの通りぢゃ
上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ
神からの現われであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ
偶然の真理 悟れと申してあろう
これが判れば大安心、立命

あなたまかせ、よい妻と申してあろうが
神まかせがよい人民であるぞ
この神とみとめたら理解して、マカセ切れよ
太元(おおもと)の神さまにホレ参らせよ
真の信仰の第一歩ぞ

雨降らば雨を、風ふけば風を、一先づ甘受せよ
甘受した後、処理して行かなならん
受けいれずにハネ返すのは大怪我のもと
何回でも何回でも同じことくりかえさねばならんことになるぞ

何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ
内にあるから外から迫るのぢゃ
自分で呼びよせているのぢゃ
苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう
自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう

同じものでも表からと裏からとでは違ふのぢゃ
同じ目で見ても、ちがってうつるのぢゃ
心得よ

320

希望は愛の現れの一つ
どんな時、どんな人にも与へられているのぢゃ
希望にもえつつ、現在を足場として生きよ、呼吸せよ
同じことしていても、希望もつ人は栄え、希望なき人は亡びる
希望は神ぞ

使命がいのち
上から、神から命ぜられたことがいのちぞ
使命はつくられた時に与えられる
使命なくてものは生れんぞ
自分の使命は内にききつつ外にきけよ
使命果たすがよろこびぞ
使命果たすには生命がけ(いのちがけ)でなくてはならん
生命ぢゃからのう
努力した上にもせなならんぞ
努力には苦もあるぞ
苦のない努力ないぞ
右を動かせば左もうごくぞ
果たせば苦は楽
果たさねば楽も苦
重荷あるからこそ、苦あるからこそ、風にも倒れんのぢゃ

小乗の行(ぎょう)と馬鹿にするでないぞ
理屈で神を割出したり、そろばんでハヂキ出したり、今の鼻高さんはしているなれど、何処(どこ)まで行っても判りはせんぞ
土耕す祈りに神の姿現はれるぞ

ほんとのこと知るには、ほんとの鍛練いるのぢゃ
たなからボタモチ食っていては段々やせ細るのみ
鍛えよ鍛えよ
鍛えればこそ光出て来るのぢゃ

他力の中の自力ぢゃ
ぢゃと申して、まかせきったと申して、ふところ手ならん
自力大切ぢゃ

まつりは常住坐臥にあるぞ
拝むばかりではならん
拝むまつりはまつりのカタ(型)ぢゃ
カタから入るのが入り易いが、この程度の境地では戒律いるぞ
カタに囚われてはならん
戒律の世界にいつ迄もいてはならん

恩、知らねばならん
恩に報ひなければならんぞ
人民、天地の恩 忘れているから、喜び少ないのぢゃ

ものの順序わきまえねばならん
悪平等ならん
政治や経済は裏、二義的のもの

マツリから出直せよ
天地見よ
大きマツリ致して居らうがな
霊と肉のまつり第一
頭とハラのまつり結構

奥から来るものは喜びぢゃ
念ぢゃ
力のもとぢゃ
生きの生命ぢゃ
神にはハラを向けよ

330

宇宙の総てはこの神の現れであり、一面であるから、その何処(どこ)つかんで拝んでもよいのである
その何処つかんで、すがってもよいのであるぞ
水の流れも宗教ぞと申してあらう
総てに神の息、通ふているぞ
一本の箸 拝んでもよいのぢゃが、ちゃんとめあて、よいめあて、きめねばならん

内の自分に火つけよ
心くらくては何も判らん
世の中は暗う見えるであろう
真暗に見えたら自分の心に光ないのぢゃ、心せよ
自分光れば世の中明るいぞ

より上のものから流れてくるものにまつりて行くこと大切ぢゃ
それがまつりの元
それが信仰ぢゃ
信仰は生活ぢゃ
生活は信仰ぢゃ
裏と表ぢゃ

順と区別さへ心得て居れば、何様を拝んでもよいと申してあろうが
日の神様ばかりに囚われると判らんことになるぞ
気付けおくぞ
それでは理(ミチ)にならん
父だけ拝んで母拝まんのは親不孝ぞ
おかげないぞ
おかげあったらヨコシマのおかげと心得よ
手だけ尊んではいかん
足だけ尊んでもいかん
一切に向って感謝せよと申してあろうが

門もくぐらず玄関も通らずに奥座敷には行かれん道理
順序を馬鹿にしてはならんぞ
いつ迄門に立っていても何もならん
お出直しぢゃ
川がなければ水流れん道理
始はカタ(型)ふんで行かなならんぞ

その人民にメグリなくしてもメグリ負ふことあるぞ
人類のメグリは人類の誰かが負はねばならん
一家のメグリは一家の誰かが負はねばならん
果たさねばならん
善人が苦しむ一つの原因であるぞ
神の大きな恵みであり試練であるぞ
判りたか

愛するものほど、その度が濃い程、魂が入っているのぢゃ
先祖が大切していたものは大切せねばならんぞ
現界のみの理屈は通らんぞ
飛んだ目に会ふぞ
気つけおくぞ

念じてから行へ

局部的に見るから判らんのぢゃ
文字書くのは心であるが、心は見えん、手が見へるのぢゃ
手見るはまだよい方ぢゃ
筆の先だけしか見えん
筆が文字書いていると申すのが、今の人民の考へ方ぢゃ
筆が一番偉いと思ふて御座るのぢゃ
信仰に入った始はよいが、途中から判らなくなるのぢゃ
そこが大切ぞ
判らなくなったら神示(フデ)よめよ
キ頂いてよみかへるぞ

和は力ぞ

340

神にまかせきると申しても、それは自分で最善をつくして後のことぢゃ
努力なしにまかせるのは悪まかせぢゃ
悪おまかせ多いのう

魂の財産は金を得るより数倍六ヶ敷い(むずかしい)ぞ
ぬれ手で粟のやり方、カスつかむぞ

むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、くやしくなったりするのは、まだめぐりあるからぢゃ
めぐりの霊界との因縁が切れて居らぬからぢゃ

愛は養はねばならん
夫婦はいのちがけで、お互にきづき合はねばならんぞ
夫婦愛はあるのではない
築き上げねばならんぞ
生み出すのぢゃ
つくり出すのぢゃ
そこに尊さあるぞ
喜びあるぞ

左に宗教
右には芸術

これと云う先達(せんだつ)があったら、先達の云うこと、云う通りについて行けよ
おかしい先達は始めからおかしいぞ

苦労し、手をかけ、金かけるほどよいもの出来るぞ

信念越えて自分より上のものにまかせきったのが理解であるぞ
信念だけでは何事も出来ん
確信は理解からぞ

親子、夫婦、兄弟姉妹と生れても逆縁あるぞ
カタキ同士 結ばれることあるぞ
それは神の大き恵みぞ
それに打ちかって、新しき生命うみ出してつかへまつれ

体験ないところに「道」はない

350

  • 最終更新:2018-02-16 21:12:06

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