251~300

悪いくせ直さねば 何時(いつ)までたっても自分に迫ってくるもの変らんぞ

おかげないと不足申してゐるが、悪いくせ、悪い内分を変へねば百年祈りつづけてもおかげないぞよ

理屈なしに子は親を信ずるぞ
その心で神に対せよ
神が親となるのぢゃ

目と口から出るもの、目の光りと声とは、実在界にも実力もってゐるのであるぞ
力は体験通して出るのであるぞ

カタ(型)は形をもたねばならん
念は語ることによって現れるのぢゃ

キがもとと申してあろうがな
人民は総てのもののキいただいて成長してゐるのであるぞ
キ頂けよ
横には地上世界のキを、縦には神の気を
悪いキを吐き出せよ
よいキ 養って行けよ
見分ける鏡与へてあるでないか

道わからねば人にきくであろうが
判らんのに判った顔して歩き廻ってゐてはならん
人にたづねよ
これと信ずる人にたづねよ
天地にたづねよ
神示(ふで)にたづねよ

上にたつ程働かねばならん
働いても力はへらん
働くにはキ頂かねばならん
キから力生れるのであるぞ
働くと申して動くばかりでないぞ
動かんのも働き、動くのも働き、よく心得よ

よせては返し、よせては返し生きてゐるのであるぞ
ただ始の始(はじめのはじめ)と始(はじめ)が違ふのざ

祈り、考へ、働きの三つ揃はねばならん

260

生めば生む程、自分新しくなり成り、大きくなる

人間の総てに迫り来るもの、総てを喜びとせよ
努力せよ

モノ喜ばせばモノは自分の喜びとなり、自分となる

心の世界は無限に拡がり、生長するのであるぞ
神にとけ入って宇宙大に拡がるのであるぞ
神と共に大きくなればなるほど、喜び大きくなるのである

人民は神のいれものと申してあろう
神の ・と人間の ・と通じて居ればこそ呼吸するのぢゃ
・と ・と通じて居ればそれでよいのぢゃ
神の ・ と人民の ・と通じて居るならば、神の ○ と人民の ○と同じようにしておかねばならんと申すのは、人間の誤りやすい、いつも間違ひ起すもとであるぞ
神の ○と人間の ○ と同じようにしておくと思うて、三千年の誤りしでかしたのぢゃ
・ と ・と結んでおけば後は自由ぢゃ
人民には人民の自由あるぞ
神のやり方と自ら違ふところあってよいのぢゃ
天の理と人の理とは同じであって違ふのざと知らしてあろう
心得よ

神の姿は総てのものに現われてゐるぞ
道ばたの花の白きにも現われてゐるぞ
それを一度に、すべてを見せて、のみこませてくれと申しても判りはせんぞ
判るところから、気長に神求めよ

総ては神から流れ出てゐるのであるから、祈り感謝し実行しなければならん
この判り切った道理、おろそかにして御座るぞ
そこに天狗出てゐるのぞ

その人その人によって、食物や食べ方が少しづつ違ふ
身体に合わんもの食べても何もならん
かえって毒となるぞ
薬、毒となることあると気つけてあろうが

只(ただ)歩きまわってゐるだけではならん
ちゃんとめあてつくって、よい道 進んで下されよ
飛行機あるに馬に乗って行くでないぞ

額に先づ(まず)気あつめて、肚(ハラ)でものごとを処理せねばならんぞ

270

形ある世界では形の信仰もあるぞ
偶像崇拝ぢゃと一方的に偏してはマコトは判らんぞ

始めは形あるものを対象として拝むもよいが、行きつまるのは目に見える世界のみに囚はれてゐるからぞ
タテのつながりを見ないからであるぞ

死んでも自分は生きてゐるのであるぞ
大我に帰したり、理法にとけ入ったりして自分と云ふもの無くなるのでないぞ
霊界と霊と、現界と現身(うつしみ)とのことはくどう説いてあろうが
神示(ふで)よめよめ
大往生の理(ミチ)、弥栄に体得出来るのであるぞ

慾(よく)、浄化せよ

すべて世の中の出来ごとはそれ相当に意義あるのであるぞ
意義ないものは存在ゆるされん
それを人間心で、邪と見、悪と感ずるから、狭い低い立場でゐるから、いつまでたってもドウドウめぐり
それを毒とするか薬とするかは各々の立場により、考へ方や、処理方法や、いろいろの運び方によってしるのであるから、心せねばならんぞ

「今」に一生懸命になりて下されよ

ハラ(肚)で見、ハラできき、ハラで話せよ
ハラには間違ひないのぢゃ

祈りばかりでは祈り地獄、神から光いただけるように理(ミチ)つけねばならん

水は低きに流れるぞ
喜びに叶ふ心、喜びの行あるところ喜び来るのぢゃ 喜びにも正しきと曲れる(まがれる)とあるぞ
無限段階あるのぢゃ
心して迷はんように致しくれよ

カミヒトと申すのは、神の弥栄(いやさか)のため、世の弥栄のため祈り、実践する人のことであるぞ
神のため祈れば神となり、世のため祈れば世と一体となるのぢゃ
自分のためばかりで祈れば迷信、われよしの下の下ぞ

280

誰でも霊かかりであるぞ
石でも木でも土でも霊かかりぞ
これは一般かみかかりであるぞ
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行(ぎょう)がいるのぢゃ
九分通りしくじるのぢゃ
太陽の光集めること知っているであらうが

神の理をよりよく、より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ
道(ミチ)であるぞ

外はウソが多いぞ
内の声ウソないぞ

表の喜びが ・、愛、真、善、美となり現れ、裏の喜びからは、 ○ 、憎、偽、悪、醜が現れるのぢゃ
喜びが神ぢゃと申して裏の喜びではならんぞ
今の人民の喜びと申すのは裏の喜びであるぞ
悲しみを喜びととり違へているぞ

人民 栄えて行くことは、神、弥栄(いやさか)のことぞ

只(ただ)、よろこびに向ってひたすらに進んで行けばよいのであるぞ
正しき喜びを先づ見極めよ
見きわめてひたすらに進めばよいのぢゃ

食物を食べるのも喜びであるぞ
正しき食物 正しく食べよ
更に喜びふへて弥栄へる(いやさかえる)のぢゃ
自分の喜びを進め進めて天国へ入ること出来るのぢゃ
悪い食物 悪く食べるから悪くなるのぢゃ
目に見へる食物ばかりでないぞ
何も彼も(なにもかも)同様ぞ

人民は喜びの子と申してあろう
罪の子でないぞ
うれしうれしの道あるに、何故 歩まんのぢゃ

人民のいのちを正しく育てることが一番のよろこび
人民と申すものは神の喜びの全き現れであるぞ
いくらけがれても元の神の根元神のキをうけてゐるぞ
それを育てることぢゃ
導くことぢゃ
死なんとする人助けるのもその一つぢゃ
宿った子殺すことは、人民殺すことぢゃ
今の人民 九分九厘は死んでいるぞ
救へ、救へ、救へ
おかげは取りどくぢゃ
生かせよ
生かせよ
生かす理(ミチ)は神示(ふで)にあるのぢゃ

人民をほめること よいことぢゃ
ほめて、その非をさとらせよ
罪ゆるすことぢゃ
もの生かすことぢゃ
生かして使ふことぢゃ
道(ミチ)つたへることぢゃ
やって見なされ
必ずうれしうれしとなるぞ
栄えるぞ
嬉しくなかったら神はこの世に居らんぞよ

290

道(ミチ)、生活に、世に、映して(うつして)下されよ
世界に映すことよろこびぞ
地に天国うつすことぞ
六ヶ敷い(むずかしい)ことないぞ
今の裏のやり方、ひっくり返して表のやり方すれば、それでよいのぢゃ
裏は裏として生きるのぢゃぞ
金は使ふもの
使はれるものでないこと よく判って居らうが
御苦労のことやめなされよ

人民には分別与へてあるから反省できるのであるぞ
反省あるから進展するのであるぞ
ほっておいても、いらんものは無くなり、いるものは栄へるのであるが、人民の努力によっては、よりよくなるのぢゃ
省みねば生れた時より悪くなると申してあろうが

慾(よく)、浄化して喜びとせよ
喜び何からでも生れるぞ

広い世界に住めば広く、深い世界に住めば深く向上する
物の世界から霊の世界へ、無限の世界へ入るから無限の生命が与へられるのぢゃ
無限の喜び得ること出来るのぢゃ
無限世界とは物と霊との大調和した、限りなき光の世界ぞ
真理を知ることが、無限を得ること
まことの神をつかむことぞ

よいものつくるには大き手数かかるのぢゃ
ふところ手でいては出来ん
手出せ、足出せよ

一切のものは渦(ウズ)であるぞ
同じことくりかへしているように、人民には、世界が見えるであろうなれど、一段づつ進んでいるのであるぞ
木でも草でも同様ぞ
前の春と今年の春とは、同じであって違って居らうがな

行き詰りがありがたいのぢゃ
進んでいるからこそ、行きあたり行きつまるのぢゃ
省みる時あたえられるのぢゃ
さとりの時与えられるのぢゃ

ものは、はなすからこそ?める(つかめる)のぢゃ
固く握って戸しめていてはならんのう
扉あけておけと申してあろうが

着物ぬいで裸体となることつらいであろうなれど、ぬがねば新しい着物きられんぞ
裸になってブツカレよ
神様も裸になってそなたを抱いてくださるぞよ

重い石のせたタクアンはうまいのであるぞ

300

  • 最終更新:2018-02-16 21:10:49

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