201~250

そなたはよく祈る
祈ることは結構であるなれど、祈るばかりでものごと成就せんぞ
為すには先づ(まず)祈らねばならんが、そなたはそなたの神にのみ祈ってゐるぞ
為すのは己であるから、己にゐのら(祈ら)ねばならんぞ
己に祈りた後、己が為さねばならんぞ
乳房与えられても自分で吸はねば自分の身にはつかぬ道理ぢゃ
ぢゃが、為したのみでは未だ(まだ)足らんぞ
時々は省みなければならんぞ

そなたは形や口先ばかりでものを拝んでゐるが、心と行と口と三つそろはねばならん
三つ揃ふて拝むならば、どんなものでも与へられるのぢゃ
拝む所へ ものは集まってくる
神も集まってくる
足らぬものなくなるぞ
余ることなくなって、満たされるのが まことの富ぢゃ
清富ぢゃ

そなたの苦労は取越し苦労
心くばりは忘れてならんなれど、取越し苦労、過ぎ越し苦労はいらん
そうした苦労は、そうした霊界をつくり出して、自分自身がいらぬ苦労をするぞ

そなたはまだ神業の取違ひして御座るぞ
そなたの現在与えられてゐる仕事が神業であるぞ
その仕事をよりよく、より浄化するよう行じねばならんぞ
つとめた上にもつとめねばならん
それが御神業であるぞ

そなたはそなたの心と口(言)と行が違ふから、違ふことが次から次へと折り重なるのぢゃ
コト(心言行-しんごんぎょう)正して行かねばならんぞ

苦を楽として行かねばならん
苦と心するから苦しくなるのぢゃ
楽と心すれば楽と出てくるのぢゃ
ちょっとした心の向け方、霊線のつなぎ方ぞ

そなたは悪人は悪人ぢゃ、神として拝めとは無理ぢゃと申してゐるが、一枚の紙にも裏表あるぞ
そなたはいつも裏ばかり見てゐるから、そんなことになるのぢゃ
相手を神として拝めば神となるのぢゃ
この世は皆 神の一面の現われであるぞ

そなたは現実世界のことばかりより判らんから、現実のことばかり申して、一に一たす二だとのみ信じてゐるが、現実界ではその通りであるが、それが平面の見方、考へ方と申すもの
いくら極めても進歩も弥栄もないのぢゃ
一に一たす一の世界、一に一たす無限の世界、超現実、霊の世界、立体の世界、立立体の世界のあることを体得せねばならんぞ
そなたは心をもって居ろうがな
心があれば心の属する世界のある道理は判るであろうが
心で描いて、心で先づ(まず)つくり出してから行為することも、その順序も判るであろうがな
心のうごきが先で、肉体がその後でうごくことも判って居ろうがな
心の世界にないものは物質の世界にない道理も判って居ろうがな
何故に迷ふのぢゃ
霊界が主で現界が従であること、判って下されよ
逆立してそなた自身で苦しんでゐること、早う得心して、うれしうれしで暮して下されよ

同じ神の子でも本家と分家とあるぞ
本家は人間ぢゃ
分家は動植物ぢゃ
本家と分家は神の前では同じであるが、位置をかへると同じでないぞ

神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐるが、それは段階の低い教であるぞ
大道でないぞ
理屈のつくり出した神であるぞ
大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ
抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ
抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが
今迄の教(おしえ)は今迄の教

210

人民は土でつくったと申せば、総てを土でこねてつくり上げたものと思ふから、神と人民とに分れて他人行儀になるのぞ
神のよろこびで土をつくり、それを肉体のカタとし、神の歓喜を魂としてそれにうつして、神の中に人民をイキさしてゐるのであるぞ
取り違ひせんように致しくれよ
親と子と申してあろう
木の股や土から生れたのではマコトの親子ではないぞ

外は外にあり、内は内にあり、外は内を悪と見、内は外を悪として考へるのであるが、それは善と悪でないぞ、内と外であるぞ
外には外のよろこび、内には内のよろこびあるぞ
二つが和して一となるぞ
一が始めぞ、元ぞ
和して動き、動いて和せよ
悪を悪と見るのが悪

道徳、倫理、法律は何れも人民のつくったもの
本質的には生れ出た神の息吹きによらねばならん
神も世界も人民も何れも生長しつつあるのざ
何時(いつ)までも同じであってはならん
三千年一切りぢゃ
今迄の考へ方を変へよと申してあらう
道徳を向上させよ
倫理を新しくせよ
法律を少なくせよ
何れ(いずれ)も一段づつ上げねばならん
今迄のやり方、間違ってゐたこと判ったであらう
一足飛びには行かんなれど、一歩々々上って行かなならんぞ
ぢゃと申して土台をすててはならん
土台の上に建物たてるのぢゃ
空中楼閣 見て居れん

臍(へそ)の緒はつながってゐるのであるから、一段奥の臍(へそ)へ臍へと進んで行けば、其処(そこ)に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ
自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ
無我でないぞ
判りたか

幽界と霊線つなぐと自己愛となり、天国と霊線つなげば真愛と現れるぞ
よろこびも二つあるぞ
大歓喜は一つなれど

他を愛するは真愛ぞ
己のみ愛するのは自己愛ぞ
自己愛を排してはならん
自己愛をひろげて、大きくして真愛と合致させねばならん
そこに新しき理(ミチ)ひらけるのであるぞ
自己愛を悪魔ととくは悪魔ぞ
無き悪魔つくり、生み出すでないぞ
一段昇らねば判らん

公のことに働くことが己のため働くこと
大の動きなすために小の動きを為し、小の動きなすために個の動きなすのであるぞ
・に・あり、又・あると申してあるぞ。

何事もよろこびからぞ
結果から又よろこび生れるぞ
この道理わかれば何事もありやか

外の喜びはその喜びによって悪をまし、内の喜びはその喜びによって善をますなれど、マコトの喜びは外内と一つになり、二つになり、三つになった喜びとならねば、弥栄(いやさか)ないぞ

親と子は、生むと生まれるとの相違出来てくるぞ
又(また)上の子と下の子と、左の子と右の子とは違ふのであるぞ
違へばこそ存在する

220

地獄ないと申してあろう
人は神の喜びの子と申してあらう
人の本性は神であるぞ
神なればこそ天国へ自づ(おのず)から行くのぢゃ
住むのぢゃ

善ぢゃ悪ぢゃと申してゐるが、人民の善はそのまま霊人の善でないぞ
そのまま霊人の悪でないぞ
心して呉れよ

グッとしめたり、ゆるめたりして呼吸しなければならん
其処に政治のうごきあるぞ
経済の根本あるぞ
逆にしめる事もあるぞ
善と申し悪の御用と申すことの動き、そこから出るのぢゃ
じっとしてゐてはならん
ジッとしてゐる善は善でないぞ

自分が生んだもの、自分から湧き出るものは、いくら他に与へてもなくならんぞ
与へよ、与へよ
与へてなくなるものは自分のものでないと申してあろう
無くなると思ふのは形のみ見てゐるからぢゃ
カラ(殻)のみ見るからぢゃぞ
本質は無限に拡がるぞ
与へる程よりよく、神から与へられるぞ
井戸の水のようなもんぢゃ
汲めば汲むほどよくなる仕組

統一と云ふことは赤とか白とか一色にすることではないぞ
赤もあれば黄もあり青もあるぞ
それぞれのものは皆それぞれであって一点の・でくくる所に統一あるぞ
くくると申してしばるのでないぞ
磁石が北に向くよう、総て一点に向かうことであるぞ
これを公平と申し、平等と申すのぢゃ
悪平等は悪平等
一色であってはならんのう

人民は神のへそとつながってゐるのであるぞ
へその緒さへつながって居ればよく、神人であるぞ
・と・とつながって更に大き・につながってゐるからこそ動きあり、それぞれのハタラキあり、使命を果たし得るのであるぞ
同じであって全部が合一しては力出ないのであるぞ

早う心いれかへと申してあるが、心とは外の心であるぞ
心の中の中の中の心の中には・が植付けてあるなれど、外がまっくらぢゃ
今迄のやり方では行けんこと判りて居らうがな
いらんものは早うすてて了へ(しまえ)よ

今迄のこと、やり方かえねばならん
一段も二段も三段も上の広い深い、ゆとりのあるやり方に
神のやり方に
規則のない世に
考へ方、やり方、結構であるぞ

和が根本、和がよろこびぞ
和すには神を通じて和すのであるぞ
神を通さずに、神をなくして通づるのが悪和合
神から分れたのであるから神に帰って、神の心に戻って和さねばならん道理
神なくして和ないぞ
世界平和と申してゐるが、神にかへって、神に通じねば和平なく、よろこびないぞ

神にとけ入れと申してあろう
次元が違うから、戒律出来るから、判らんのぢゃ
とけ入れよ

230

神が主であり人民が従であると申してあろう
これを逆にしたから世が乱れてゐるのぞ
結果あって原因あるのでないぞ
今の人民、結構すぎて天地の御恩と申すこと忘れてゐるぞ

上から見ると皆人民ぢゃ
下から見ると皆神ぢゃ
判りたと思ふて御座るなれど、神の経綸(しくみ)が学や、金銀つんで、チョットやソットで判る筈ないぞや
今迄の、三千年のやり方違ってゐたと心つくなれば、心付いて神示(ふで)よむなれば、一切のことありやかとなるのぢゃ
肝心ぢゃ

人民それぞれのミタマによって役目違ふのであるぞ
手は手、足は足と申してあろう
何も彼も(なにもかも)マゼコゼにやるから結びつかんのぢゃ

型にはまることをカタマルと申すのぢゃ
こり固まっては動きとれん
固まらねば型出来んで、人民には判らんし
型外して、型をつくらねばならん
法律つくらねばならんが、つくってもならんぞ

霊はものにつくと申してあろう
祓ひするときはモノにつけて、モノと共にせよ
共に祓へよ

肉体は霊の衣と申してあらう
衣が霊を自由にしてはならんぞ
衣には衣の約束あるぞ
衣ぢゃと申して粗末してはならん
何れも神の現れであるぞ

人ほめよ
人ほめることは己ほめることぞ

与へられたもの、そのもの喜ぶようにすれば楽にゆけるよう、暮しむきもたのしたのしで暮せるようになってゐるぞ
あり余る程 与へてあるでないか
生かして使へよ
生活に何故アクセクするのぢゃ
与へてあるもの殺すから自分も死の苦しみするのぢゃ

総てに感謝せよと申してあろうが
総てのものに、それ相当の意義あるぞ
全体的には喜びせねばならん
愛をもって接しなければならん
信をおかねばならん
ぢゃと申して局部々々に於て(おいて)は、それぞれ、その時に応じて処理せねばならん
只(ただ)その場合は、ゆとりをもって処理せよ
綱長くしておかねばならん

人間は神と共に自分自身で生長して行かなならん
人間から見れば全智全能の神 在るのであるぞ
このことよく判りて下されよ
マコトの理解と迷信との別れる大切ことぞ

240

信じ合ふものあれば、病気も又たのしく、貧苦も亦(また)たのしいのであるぞ

例外と申すのは、ないのであるぞ
他の世界、他の天体、他の小宇宙からの影響によって起る事象が例外と見えるのぢゃ
心大きく、目ひらけよ

ほんとうにモノを見、きき、味はい、消化して行かなならんぞ

そのものを見、そのものに接して下肚がグッと力こもってくるものはよいもの、ほんものであるぞ

キは総てのものに流れ込むもの
信仰は理智的にも求められる、完き(まったき)情である
真理を理解するのが早道
確信となるぞ

見へるものから来る幸福には限りがあるが、見えんものから来る幸福は無限ぞ
つきんよろこびは常に理(ミチ)から

毎日、一生懸命に掃除してゐても、何処か(どこか)にホコリ残るもんぢゃ
まして掃除せん心にホコリつもってゐること位、誰にでも判ってゐるであろうが
神示(ふで)で掃除せよ

大病にかかると借金してでも名医にかかるのに、霊的大病は知らん顔でよいのか
信仰を得て霊的に病気を治すのは、一瞬には治らんぞ
奇跡的に治るとみるのは間違ひ、迷信ぞ
時間もいり手数もいる
物も金もいる
大き努力いるのであるぞ
取違ひ多いのう

過去も未来も中今(ナカイマ)ぞ

神も人間と同じで、弥栄してゆくぞ

250

  • 最終更新:2018-02-16 21:10:13

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