151~200

そなたはいつも深刻な顔をして考へ込んでゐるが、考へ方にも幾通りも御座るぞ
考へは迷ひと申してあるのは、そなたのような場合ぞ

そなたは苦に向ひ苦にかったつもりで、苦を楽しんで御座るが、苦は曲ることぞと知らしてあろうが
苦をつくり出してはならんぞ
苦を楽しむより、楽をたのしむ心 高いぞと知らしてあろう
苦しむと曲り、楽しむとのびるぞ

未来にもえることが現在(いま)に生きることであるぞ
そなたは現在に生きる努力が足らん
夢ばかり追ってゐてはうたかたぢゃ

そなたは先祖に対する考へ方が間違ってゐるぞ。先祖はそなたではないか
地下にあるそなたの根が先祖でないか
根のない草木はすぐ枯れる道理ぢゃ
先祖は家をついだ兄がまつってゐるから、分家した自分は先祖はまつらいでもよいのぢゃと申して御座るなれど、よく考へて下されよ
根から芽が出て幹となり枝が栄えてゐるのと同様ぞ
枝には根はいらんと申すのと同じような間違ひであるぞ
分家しても先祖 尊ばならん
先祖をおろそかにするでないと、気付けてあるでないか

そなたは祈りが足らんぞ
祈りと申すのは心でゐのり(祈り)願ふことでないぞ
実行せねばならん
地上人は物としての行動をしなければならんぞ
口と心と行と三つ揃はねばと申してあること、忘れたか

迷ひを祓って真実に生きよ
みたましづめ(鎮め)ぢゃ
神しづめ(鎮め)ぢゃ

天地を信じ、自分を知り、人を理解する所にこそ まことの弥栄(いやさか)あるぞ

だますものにはだまされてやれよ
一先づ(ひとまず)だまされて、だまされんように導いて下されよ
そなたはそんな場合に我を出すからしくじるのぞ
だまされてやろうとするからカスが残るのぞ
まことにだまされる修業が大切ぢゃなあ

ものごとはひらく時が大切ぢゃ
第一歩の前に第0(ゼロ)歩があるぞ
0歩が大切ぞ
心せよ

そなたは行き詰って苦しんで御座るなれど、それは間違った道を歩んで来たからぞ
行き詰りは有りがたいぞ
省みる時を与えられたのぢゃ

160

ミタマ磨きさえすれば何ごともハッキリとうつりて、楽に行ける道がちゃんとつくってあるのぢゃ
その人その人に応じて如何よう(いかよう)にでも展け(ひらけ)行くぞ
犬猫でさえ楽々と栄えてゐるでないか
洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ

鍬(すき)とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ
そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ
気つけ合ってよきに進んで下されよ

そなたが歩むのぢゃ
道は自分で歩まねばならんぞ
他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ
そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ
人を助ければその人は神が助けるのであるぞ
この道理なぜに判らんのぢゃ
人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの
神にも道はまげられんぞ

何も六ヶ敷い(むずかしい)こと申すのではない
自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ
内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理
内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ
木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ
三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ
為せば成る時が来てゐるのぢゃ
為さねば後悔ぞ
時すぎて種まいても、くたびれもうけ
そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ
悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ
悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ

無理してはならん
そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ

そなたは自分と他との境界をつくってゐるなれど、境界つくってはならんぞ
境界をつくらずに、おのづからなる自他の別を生み出さねばならんぞ

大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ

不足は不足をうむぞ
そなたは口をつつしめよ

そなたはつまらんことにいつも心を残すから つまらんことが出てくるのであるぞ
心を残すと云うことは、霊界とのつながりがあることぞ
つまらん霊界にいつ迄くっついてゐるのぢゃ

何ごとも清めて下されよ
清めるとは和すことであるぞ
同じもの同士では和ではない
違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ
奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ
それがまことの和であり清めであるぞ
善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ
和すには同じあり方で、例へば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん
天が主であり地が従でなければならん
男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ
さかさまならんぞ
これを公平と申すぞ

170

口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのぢゃ
心と行が伴はねばならん
判りきったこの道理が行はれないのは、そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強いからぢゃ
そなたの心の大半を幽界的なもので占めてゐるからぞ
己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな
このいくさ中々ぢゃが、正しく和して早う弥栄(いやさか)結構ぞ

そなたのもつ悪いくせを治して下されよ
そのくせ治すことが御神業ぞ
自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか
これに気がつかねば落第ぞ

おそれてはならん
おそれ生むからぞ
喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ
喜びは神ぢゃ

神様御自身も刻々弥栄(いやさか)して御座るぞ
故にこそ生長なされるのぢゃ
人間も同様でなくてはならん
昨日の自分であってはならん
今の自分ぞ
中今(なかいま)のわれに生きねばならん

われにどんな力があったとて、我(が)を出してはならんぞ
我を出すと力なくなるぞ
我を、大き我に昇華させよ
大我(たいが)にとけ入らねばならん
大我にとけ入ったとて、小我がなくなるのではないぞ

人おろがめ(拝め)よ
物おろがめよ
おろがむと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなるぞ
うれしうれしとはそのことぞ

回心して仕事 嘉言(よごと)と仕へまつれよ

そなたは自分は悪くないが周囲がよくないのだ、自分は正しい信仰をしてゐるのだから、家族も知友も反対する理由はない、自分は正しいが他が正しくないのだから、正しくない方が正しい方へ従って来るべきだと申しているが、内にあるから外から近よるのぢゃと申してあろうが

そなたは無低坑主義が平和の基だと申して、右の頬を打たれたら左の頬をさし出して御座るなれど、それは真の無抵坑ではないぞ
よく聞きなされ
打たれるようなものを そなたがもってゐるからこそ、打たれる結果となるのぢゃ
まことに磨けたら、まことに相手を愛してゐたならば、打たれるような雰囲気は生れないのであるぞ
頬をうたれて下さるなよ
生れ赤児 見よと知らしてあろうが

頭を下げて見なされ、流れて来るぞ
頭も下げず低くならんでゐては流れては来ないぞ
神のめぐみは淡々とした水のようなものぞ
そなたは頭が高いぞ、天狗ぞ
その鼻まげて自分のにほひをかいで見るがよい

180

そなたは左に傾いてゐるぞ
左も見なければならんが、片よって歩いてはならんぞ
そなたは右を歩き乍ら(ながら)、それを中道と思って御座るぞ
そなたは平面上を行ってゐるから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じてゐるが、それでは足らんのう
立体の道を早うさとりなされよ
正中の大道あるのであるぞ
左でもなく右でもなく、うれしうれしの道あるぞ
左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ
原因の世界に入らねばならん
平面より見れば相対あるなれど、立体に入り更に複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ
相対では争ひぢゃ、いくさぢゃ
真の世界平和は今のやり方、考へ方では成就せんぞ
三千世界和平から出発せねばならんぞ

そなたは神示(ふで)をよくよんでゐるが、それだけでは足らん
神示を肚(ハラ)に入れねばならん
つけ焼刃ではならん
神示を血とし生活とすれば、何事も思ふ通りスラリスラリと面白い程 栄えて来るぞ
思ふように運ばなかったら省みよ

己が己にだまされて、己のためのみに為してゐることに気づかんのか
それが善であっても、己のためのみならば死し、善のための善ならば弥栄える(いやさかえる)ぞ
善にも外道の善あるぞ
心せよ

そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ
礼拝(らいはい)を忘れ、祈りをわすれることは神をわすれることぢゃ
そなたの住む段階では、祈り畏こみ(かしこみ)謹んで(つつしんで)実践しなければならんぞ
拝まんでも拝んでゐる境地はなかなかぢゃなあ

そなたはわれが助かろうとするから助からんのぢゃ
世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ
我をすてて素直になされよ
三千年の秋(とき)が来てゐるのであるぞ

そなたはよく肚をたてるが、肚がたつのは慢心からであるぞ
よく心得なされよ
下肚(したばら)からこみあげてくる怒りは大きな怒りであるから、怒ってよいのであるなれど、怒りの現わし方を出来るだけ小さく、出来るだけ清く、出来るだけ短かくして下されよ
怒りに清い怒りはないと、そなたは思案して御座るなれど、怒りにも清い怒り、澄んだ怒りあるぞ

そなたはいつも自分の役に不足申すくせがあるぞ
そのくせ直して下されよ
長くかかってもよいから、根の根からの改心結構ぞ
手は手の役、足は足、頭は頭の役、それぞれに結構ぞ
上下貴賎ないこと、そなたには判ってゐる筈なのに、早う得心して下されよ

そなたは中々に立派な理屈を申すが、理屈も必要ではあるが、あわ(泡)の如きもの
そなたの財産にはならんぞ
体験の財産は死んでからも役にたつ

申しても、人の前にざんげしてはならんぞ
人の前で出来るざんげは割引したざんげ
割引したざんげは神をだまし、己をだますこととなるぞ
悔ひ改めて下され
深く省みて下され
深く恥ぢおそれよ
心して慎しんで下されよ
直ちによき神界との霊線がつながるぞ
霊線つながれば、その日その時からよくなってくるぞ
気持が曲ったら霊線が切り替えられる

そなたは何時も(いつも)あれもよいらしい、これもよいようだと迷って、迷ひの世界をうみ出し、自分で自分を苦しめて、気の毒よなあ
これと一応信じたらまかせきれよ
梶をはなして鳴門の渦の中にまかせきれよ
まかせきるとひらけてくるのぢゃ
悟れたようでゐて、そなたが悟り切れんのはまかせきらんからぞ

190

そなたはいつも孤独、そなたの不運は孤独からぢゃ
友をつくりなさい
友つくることは己をつくることと申してあろうが
友つくることは新しき世界をつくることぞ
一人の世界は知れたものぞ
一人ではマコトの道を生きては行かれんぞ
友と申しても人間ばかりではないぞ
山も友、川も友、動物も植物も皆友ぞ
大地も大空も皆友となるぞ
何も彼も(なにもかも)皆友ぢゃ、皆己ぢゃ
皆々己となれば己はなくなるぞ
己なくなれば永遠に生命する無限の己となるのぢゃ
御神前で拝むばかりでは狭いぞ
野菜拝めば野菜が、魚拝めば魚が己となるのぢゃ
拝むことは和すこと
和すことが友つくる秘訣ぞ
友を己とすることは、己を友とすることぢゃ
友にささげることぢゃ
親は子にささげるからこそ、子が親となるのぢゃ
判りたか

赤ん坊のお尻をふいてやることもあるであろうがな
そなたが赤ん坊と同じであったら出来ない芸当ぞ
お尻を出すものがあっても、決して怒ってはならん
子のお尻と思って きれいにふいてやれよと申してあろうが
お尻を持ち込まれるのは、持ち込まれるだけのわけがあるからぞ
利子は後から支払えばよいと、そなたは思ってゐるが、先に支払ふこともあるのであるぞ
先にお尻をふかねばならんことも、世が迫ってくると出てくるのぢゃ
その代り、後では神がそなたのお尻をきれいにふいて下さるぞ
ぶつぶつ申さずに勇んでやって下されよ

そなたは他にものを与えることに心せねばならんぞ
与えることは頂くことになるのであるから、与えさせてもらう感謝の心がなければならんぞ
強く押すと強く、弱く押すと弱くはねかえってくること、よく知って居ろうがな
自分のものと云ふものは何一つないこと、よく判って居る筈(はず)ぢゃ

そなたは失業したから仕事を与えてくれと申してゐるが、仕事がなくなってはおらんぞ
いくらでもあるでないか
何故に手を出さんのぢゃ
そなたはすぐ金にならねば食って行けない、金にならぬ仕事は出来ぬ、自分はよいが妻子が可哀さうだから、などと申してゐるが、どんな仕事でも、その仕事にとけ込まねば、その仕事になり切らねばならんのに、そなたは目の先の慾にとらわれ、慾になり切って、目の色を変えて御座るぞ
それでは仕事にならん
仕事は神が与えたり人が与えてくれるのでないぞ
自分自身が仕事にならねばならん
この道理さへ判れば、失業はないぞ
自分が仕事ぢゃからのう


春が来れば草木に芽が出る
花が咲く
秋になれば葉が枯れるのぢゃ
時節よく気付けて取違ひせんよういたしくれよ
時節程結構なものないが、又こわいものもないのであるぞ
丁度(ちょうど) 呼吸のようなもので一定の順序あるのぞ
吸の極は呼となり、呼の極は吸となるぞ
これが神の用(ハタラキ)であるから、神の現われの一面であるから、神も自由にならん
この神も時節にはかなわんのであるのに、そなたは時々この時節を無視して自我で、或ひは(あるいは)時節を取違ひして押しまくるから失敗したり怪我したりするのぢゃぞ
素直にしておれば楽に行けるようになってゐるぞ
時まてばいり豆(炒り豆)にも花さくのであるぞ
水が逆に流れるのであるぞ
上下でんぐり返るのであるぞ
上の人が青くなり、下の人が赤くなるのであるぞ
取りちがひないように理解して下されよ

一度申したこと何処迄も(どこまでも)つらぬくそなた結構ぞ
なれども囚われているぞ
この神はちと大きな、今迄にない大変をいたすのであるから、あまり小さく囚われていると判らんことになってくるぞ
固まるときには一度に固まらねばならん
昨日は昨日、今日は今日ぞ

そなたは動機が善ならば失敗は薬と、われの都合のよいように、われとわれを弁解して御座るなれど、弁解したのでは薬にならん
毒となることあるぞ
省みよ

そなたは何神様でも仏でも、何でも彼でも(なんでもかんでも)拝んでいるが、その順序と区別がよく判ってゐないぞ
判らずにめくらめっぽうに拝んではならん
心得なされよ

そなたは忙しい忙しい、神示(ふで)よむ間もないと申してゐるが、忙しいのは神のめぐみであるぞ
よどんだ水はくさるのぢゃ
忙しい中にこそ、神示よむ時があるのぢゃ
逃げ道をつくってはならん

そなたは自分の力を人に見せようとしてゐるが、無邪気なものぢゃのう
自分の力がかくせぬようでは、頭に立つこと出来んぞ
何も彼も(なにもかも)出して了った(しまっあ)のでは味がなくなるぞ

200

  • 最終更新:2018-02-16 21:09:19

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