1401~1460

カミそまつにすればカミに泣くぞ
土尊べば土が救って呉れるのぞ
尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ
神ばかり尊んでも何にもならんぞ
何もかも尊べば何もかも味方ぞ
敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ
この道理分りたか。

臣民には神と同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ

玉串 神に供へるのは衣(ころも)供へることぞ
衣とは神の衣のことぞ
神の衣とは人の肉体のことぞ、人民をささげることぞ、自分をささげることぞ
人に仕へるときも同じことぞ
人を神として仕へねばならんぞ
神として仕へると神となるのざから
もてなしの物出すときは、祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ
喰べ物 今の半分で足りると申してあるが
神に献げたものか、祓ひ清めて神に献げると同様にすれば半分で足りるのぞ

悪はあるが無いのざぞ
善はあるのざが無いのざぞ
この道理分りたらそれが善人だぞ

千人力の人が善人であるぞ

お人よしではならんぞ
それは善人ではないのざぞ

近慾(ちかよく)なから(だから)分らんのぞ

神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ
みがけば赤子となるのぞ

お土踏まして頂けよ
足を綺麗に掃除しておけよ
足よごれてゐると病になるぞ
足からお土の息がはいるのざぞ
臍(へそ)の緒の様なものざぞよ

お土ほど結構なものないぞ
足のうら殊に綺麗にせなならんぞ

1410

神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ
まつりがあるだけぞ
まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ
これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ
分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ

肚(ハラ)掃除せよ

この道は中行く道ぞ
左も右りも偏ってはならんぞ

我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ

今の人民 日(日の光)をいただかぬから病になるのざぞ
神の子は日の子と申してあらうがな

何事も方便と申して自分勝手なことばかり申してゐるが、方便と申すもの神の国には無いのざぞ
まことがことだま(言霊)ぞ

赤い眼鏡かければ赤く見えると思うてゐるが、それは相手が白いときばかりぞ
青いものは紫にうつるぞ
今の世は色とりどり眼鏡とりどりざから見当とれんことになるのざぞ
眼鏡はづすに限るのぞ
眼鏡はづすとは洗濯することざぞ

後悔は要らぬのざぞ

赤児になれよ
ごもく捨てよ
その日その時から顔まで変るのざぞ

神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか
一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか
それはまだよいのぞ、神の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな人民一人もいらんぞ
いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ

1420

犬猫は正直でよいぞ

うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ

まことの善は悪に似てゐるぞ
まことの悪は善に似てゐるぞ
よく見分けなならんぞ
悪の大将は光り輝いてゐるのざぞ
悪人はおとなしく見えるものぞ

われよしの政治ではならんぞ
今の政治経済はわれよしであるぞ
臣民のソロバンで政治や経済してはならんぞ
神の光のやり方でないと治まらんぞ
与へる政治がまことの政治ぞよ
臣民いさむ政治とは上下まつろひ合はす政治のことぞ

日の光あるときは、いくら曇っても闇ではないぞ
いくら曇っても悪が妨げても昼は昼ぞ
いくらあかりつけても夜は夜ぞ
神のやり方は日の光と申して、くどう気つけてあらうがな

政治ぞ、これは経済ぞと分けることは、まつりごとではないぞ

腹にチャンと神鎮まって居れば何事も箱さした様に動くのざぞ

いくら頭がえらいと申して胃袋は頭のいふ通りには動かんぞ
この道理分りたか。

気が短いから、しくじるのざぞ

しびれ切らすと立ち上がれんぞ
急いではならんぞ
急がねばならんぞ

1430

本清めねば末は清まらんぞ
根絶ちて葉しげらんぞ

われが助かろと思ふたら助からぬのざぞ
その心われよしざぞ

考へてゐては何も出来ないぞ
考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ
考へは人の迷ひざぞ
今の人民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか

衣(ころも)はくるむものであるぞ
くるむとは、まつらふものぞ
神の衣は人であるぞ
汚(けが)れ破れた衣では神はいやざぞ
衣は何でもよいと申すやうなものではないぞ
暑さ寒さ防げばよいと申す様な簡単なものではないぞ
今は神の衣なくなってゐる
九分九厘の人民、神の衣になれないのざぞ
悪神の衣ばかりぞ

新しくその日その日の生まれ来るのぞ

時過ぎて種蒔いてもお役に立たんのであるぞ

二歳(ふたつ)の時は二歳の着物
五歳(いつつ)は五歳
十歳(とう)は十歳の着物あるのざぞ

戦(いくさ)するにも身魂みがき第一ぞ

宝持ちくさりにして呉れるなよ
猫に小判になりて呉れるなよ

言葉で天地にごるぞ
言波(ことば)で天地澄むぞ
戦なくなるぞ
神国になるぞ
言波ほど結構な恐いものないぞ

1440

とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ
千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ

借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが

人間には物質界を感知するために五官器があるぞ
霊界を感知するために超五官器あるぞ
神界は五官と超五官と和して知り得るのであるぞ
この点 誤るなよ

神界から真直ぐに感応する想念を正流と申す
幽界を経て又幽界より来る想念を外流と申すぞ

人間自体よりかもし出した霊波は反射的に霊界に反影するのであるぞ
人間の心の凸凹によって、一は神界に、一は幽界に反影するのであるぞ
幽界は人間の心の影が生み出したものと申してあろうがな

肉体に食ふことあれば霊にもあり
コトを食べているのが霊ぞ
大切なことじゃから、くどう申しておくぞ

自分のみの自分はないぞ
縦には神とのつながり切れんぞ
限りなき霊とのつながり切れんぞ
故に、神は自分であるぞ
一切は自分であるぞ
一切がよろこびであるぞ

二重三重人格と申すのは、二重三重のつきものの転換によるものであり、群集心理は一時的の憑依霊であると申してあろうがな
霊が元と申してくどう知らしてあろうが

人間は現界、霊界共に住んで居り、その調和をはからねばならん
自分は自分一人でなく、タテにもヨコにも無限につながってゐるのであるから、その調和をはからねばならん
それが人間の使命の最も大切なことであるぞ

調和乱すが悪ぞ
人間のみならず、総て偏してならん
霊に偏してもならん
霊も五、体も五と申してあらう
ぢゃが主は霊であり体は従ぞ
神は主であり、人間は従であるぞ
五と五と同じであると申してあろう
差別則平等と申してあらう
取り違い禁物ぞ

1450

神は愛と現はれ、真と現はれるのであるが、その根はよろこびであるぞ
神の子は皆よろこびぢゃ
よろこびは弥栄ぞ
ぢゃがよろこびにも正流と外流とあるぞ
間違へてならんぞ
正流の歓喜は愛の善となって現はれて、又 真の信と現はれるぞ
外流のよろこびは愛の悪となって現れるぞ
何れも大神の現れであること忘れるなよ。

悪抱き参らせて進むところにマコトの弥栄あるのであるぞ

神は弥栄(いやさか)ぞ
これでよいと申すことないのであるぞ
大完成から超大大完成に向って常に弥栄してゐるのであるぞよ

病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう
誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心(みこころ)ぢゃ、親心ぢゃ
悪くなると云ふことないのぢゃ

迷ひが迷ひ生むぞ

毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ
その日の仕事、与へられるぞ
仕事いのちと仕へまつれよ
朝寝するからチグハグとなるのぢゃ
不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ

食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ
不運となるのぢゃ

口から出るもの、入るもの気つけよ
いくさ起るのぢゃ
人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病(やまい)となり、不運となってくるぞ

食べないで死ぬことないぞ
食べるから死ぬのぢゃぞ
一椀をとって先づ神に供へよ
親にささげよ
子にささげよ
腹八分の二分はささげよ
食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ
神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ
メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ
運ひらくのも食物つつしめばよい、言つつしめばよい
腹十分食べてはこぼれる、運はつまってひらけん
この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。
ささげるからこそ頂けるのぢゃ
頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの
衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ
あづけられてゐるのであるぞ
人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ
日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ
その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ
病治るのぢゃ
人民ひぼしにはならん
心配無用
食物、今の半分で足りると申してあらうが

みなみな気つかん病になってゐるぞ
ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか
食物節すればツキモノ改心するぞ
先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし
病もなくなってうれしうれしとなるぞ
三年目、五年目、七年目ぞ
めでたいナア、めでたいナア

1460

  • 最終更新:2018-02-16 21:26:18

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