101~150

木にも竹にも石にも道具にもそれぞれの霊が宿ってゐるのである
人間や動物ばかりでなく、総てのものに宿ってゐるのである
宿ってゐると云うよりは、霊と体とで一つのものが出来上がってゐるのである
一枚の紙の裏表のようなもの
表ばかりのものもない、裏ばかりのものもない道理
数字にも文字にも それぞれの霊が宿って居り、それぞれの能(ハタラキ)をしてゐるのであるぞ

順序が判れば初段
和に徹すれば名人

流れ出たものは又 元にかえると申しても、そのままでは帰られんのであるぞ
天から降った雨が又天に昇るには、形をかえるであろうが
この道理をわきまえんと、悪かみかかりとなるぞ

それはそなたの自己慾から出てゐるぞ
自己慾もなくてはならんが、段々浄化して行かねばならん
浄化して大き自己の慾(よく)とせよ
自分のみの慾となるから弥栄えん(いやさかえん)のぢゃ
弥栄えんもの神の御心に逆行

自分で判断出来ることを何故にきくのぢゃ
神にきけば神に責任をきせるのと同様ぞ
人間の悪いくせぞ
出直せよ

与えることは頂くことぢゃと申しても、度をすぎてはならん
過ぎると、過ぎるものが生れて、生んだそなたに迫って来るぞ

そなたの仕事、思いつき結構であるが、神の御意志を頂かねば成就せん
神と申しても、そなたが勝手にきめた神や宗教で固めた制限された神ではないぞ

判っただけでは駄目ぞ
行じねばならん
生活しなければならん
芸術しなければならん

現実的には不合理であっても、不合理にならぬ道をひらくのが、霊現交流の道であり、立体弥栄の道、行き詰りのない道、新しき世界への道である
平面のみではどうにもならない時となってゐるのに、何して御座るのか
黒船にびっくりしては間に合わん

産土(うぶすな)さまによくお願いなされよ
わすれてはならんぞ
宗教にこり固まって忘れる人が多いぞ
他の神を拝してはならんと云う、そなたの信仰はそれだけのもの、早う卒業結構

110

他の宗教に走ってはならんと云う宗教もそれだけのもの
判らんと申してもあまりであるぞ

同じ所に天国もあり、地獄もあり、霊界もあり、現実界もあり、過去も未来も中今(なかいま)にあるのぞ
同じ部屋に他の神や仏をまつってはならんと申す一方的なメクラ宗教にはメクラが集まるのぢゃ

病気が治ったり運がひらけたり、奇跡が起ったりするのみをおかげと思ってはならん
もちと大き心、深い愛と真の世界を拝めよ
とけ入れよ
浄化が第一

金が好きなら金を拝んでもよいのぢゃ
区別と順序さへ心得て居れば何様を拝んでもよいぞ
金を拝めば金が流れてくるぞ
金を拝み得ぬイコヂさが そなたを乏しくしたのぢゃ
赤貧は自慢にならん
無神論も自慢にならん
清貧はまけおしみ
清富になれよと申してあろうが
清富こそ弥栄の道、神の道、大神様のマコトの大道ぞ

怒ってはならん
急いではならん
怒ると怒りの霊界との霊線がつながり、思わぬ怒りが湧いてものをこわして了ふ(しまう)ぞ

食物は科学的栄養のみに囚われてはならん
霊の栄養大切

自分と自分と和合せよと申してあるが、肉体の自分と魂の自分との和合出来たら、もう一段奥の魂と和合せよ
更に、又奥の自分と和合せよ
一番奥の自分は神であるぞ

高い心境に入ったら、神を拝む形式はなくともよいぞ
為すこと、心に浮ぶこと、それ自体が礼拝となるからぞ

山も自分、川も自分、野も自分、海も自分ぞ
草木動物 悉く(ことごとく)自分ぞ、歓喜ぞ

現状を足場として進まねばならん
現在のそなたのおかれてゐた環境は、そなたがつくり上げたものでないか
山の彼方(かなた)に理想郷があるのではないぞ
そなたはそなたの足場から出発せねばならん
もしそれが地獄に見えようとも、現在に於て(おいて)はそれが出発点
それより他に道はないぞ

120

はらひ(祓い)は結構であるが、厄はらひのみでは結構とはならんぞ
それは丁度、悪をなくすれば善のみの地上天国が来ると思って、悪をなくすることに努力した結果が、今日の大混乱を来したのと同じであるぞ
よく考えて下されよ
善と申すも悪と云うも、皆悉く(ことごとく)大神の肚の中であるぞ
大神が許し給へばこそ存在してゐるのであるぞ
この道理をよく会得せよ

はらふ(祓う)と申すのは無くすることではないぞ
調和することぞ
和して弥栄(いやさか)することぞ

厄も祓はねばならんが、福も祓はねばならん
福はらひせよと申してあらうが
厄のみでは祓ひにならん。福のみでも祓ひにならんぞ
厄ばらひのみしたから今日の乱れた世相となったのぢゃ
この判り切った道理が何故に判らんのか
悪を抱き参らせよ
善も抱き参らせよ
抱くには綺麗な◯にならねばならんぞ

モトを正さねばならん、間に合わんことになるぞ

心の改心すれば、どんなおかげでもとらすぞ

心のいれかへせよとは新しき神界との霊線をつなぐことぞ
そなたは我が強いから、我の強い霊界との交流が段々と強くなり、我(が)のむし(虫)が生れてくるぞ
我の病(がのやまい)になって来るぞ
その病は自分では判らんぞ
わけの判らん虫わくぞ
わけの判らん病はやるぞと申してあるが そのことぞ
肉体の病ばかりでないぞ
心の病はげしくなってゐるから気付けてくれよ
人々にもそのことを知らせて共に栄えてくれよ
この病を治すのは、今日までの教では治らん
病を殺して了ふて(しもうて)、病をなくしようとて病はなくならんぞ
病を浄化しなければならん
悪を殺すと云う教(おしえ)や、やり方ではならんぞ 悪を抱き参らせて下されよ

足のうらをきれいに掃除なされよ
外から見えん所がけがれてゐるぞ
日本の国よ、そなたも同様
世界よ、そなたも同様ぞ

一切が自分であるぞと云うことは例へでないぞ
そなたは、食物は自分でないと思うてゐるが、食べるとすぐ自分となるでないか
空気も同様、水も同様ぞ
火も同様、大空もそなたぞ
山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ
人間は横の自分ぞ
神は縦の自分ぞ
自分を見極めねばならん
自分をおろそかにしてはならん
一切をうけ入れねばならんぞ
一切に向って感謝しなければならんと申してあろうが

まことから出たことは誰のねがひ(ねがい)も同様、心配せずにドシドシと進めて下されよ
若し(もし)行き詰ったら省みよ
行き詰った時は大きくひらける時ぢゃ
ぢゃと申して ひとこころ(人心)で急ぐでないぞ
急ぐと道が見えなくなってくるぞ

そなたの考へて御座ることは自己中心でないか
われよしの小さいわれよしではならん
大きなわれよし結構ぞ

130

ぎせいになることを尊いことぢゃと申してゐるが、ぎせいに倒れてはならん
己(おのろ)を生かす為に他を殺すのもいかん
己殺して他をいかすのもいかん
大の虫を生かすため、小の虫を殺すことはやむを得んことぢゃと申したり、教へたりしてゐるが、それもならんぞ
総て(すべて)を殺さずに皆が栄える道があるでないか
何故に神示(ふで)を読まぬのぢゃ

そなたは自分で自分の首をしめるようなことをして御座るぞ

我(が)と判らん我(が)を気つけなされよ
今一息と云ふところぞ

化物に化かされんよう、おかげ落さんようにして下されよ

よいことを申し、よい行をしてゐても、よくない人があるのぢゃ
よくないことも御用の一つではあるが、そなたは未だ(まだ)それを消化する程の所まで行ってゐないぞ
小学生が大学生のまねしてはならん

そなたはまだ慾(よく)があるぞ
慾を、小さい自分ばかりの慾をすてなされ
そしてまことの大深慾になりなされよ
その気持さへ動いてくれば、何事も見事成就するぞ

行(ぎょう)は、世界中の行、誰一人のがれるわけには行かんぞ
めぐり果たしたものから、うれしうれしになる仕組

そなたの心配 一応は無理ないなれど、何処(どこ)で、どんなことをしてゐても、みたま磨けてさへ居れば、心配なくなるぞ。
心配は、磨けて居らぬ証拠ぞ

そなたはものに不足するとこぼして御座るなれど、ものに不足するのは、心に足らぬ所があるからぞ
心いたれば ものいたるぞ
何ごとも神の申す通り素直になされよ
素直結構ぢゃなあ

そなたのやることはいつも時が外れて御座るぞ
餅つくにはつく時あるぞと知らしてあろうが
時の神を忘れてはならんぞ
春には春のこと、夏は夏のことぢゃ

140

そなたはお先まっくらぢゃと申してゐるが、夜明けの前はくらいものぞ
暗いやみの後に夜明けがくること判ってゐるであろうが
神はすべてを見通しであるから
利子つけた大きなおかげを結構に頂いて下されよ
すぐのおかげは小さいぞ

はじめの喜びは食物ぞ
次は異性ぞ
何れも大きな驚きであろうがな
これは和すことによって起るのぞ
とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ
よろこびは神ぢゃ
和さねば苦となるぞ
かなしみとなるぞ
先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが
そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ
ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ
元の喜びは霊の食物を食ふことぞ
その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ
その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ
何故に神示(ふで)を食べんのぢゃ
見るばかりではミにつかんぞ
何故によく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ
喜びが神であるぞ
次には神との交わりぞ
交流ぞ、和ぞ
そこには且って(かつて)知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ
神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ
神が霊となり花むことなるのぢゃ
人民は花よめとなるのぢゃ
判るであろうが
この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ
永遠につづく結びぢゃ、結婚ぢゃ
何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ、よろこびぞ
花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ
神は理屈では判らん
夫婦の交わりは説明出来まいがな
神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん
なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ
神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ
消えざる火の大歓喜ぞ
これがまことの信仰
神は花嫁を求めて御座るぞ
早う神のふところに抱かれて下されよ

何ごとが起ってきてもそなたは先づ(まず)よろこべよ
それが苦しいことでも、かなしいことでも喜んで迎へよ
喜ぶ心は喜び生むぞ
人民よろこべば神よろこぶぞと申してあろが
天地晴れるぞ
輝くぞ

そなたは先ばかり見てゐるぞ
足で歩くのぢゃ
ぢゃが 足もとに気つけねばならんぞよ

そなたは自分ひとりで勝手に苦しんで御座るなれど、みなが仲よう相談なされよ
相談結構ぢゃなあ
相談して、悪いことは気つけ合って進んで下されよ

そなたは一足飛びに二階に上がりたい気持がぬけない
何事も一段ずつ、一歩づつ進まねばならん
それより他に進み方はないのぢゃぞ

先づ(まず)そなたの中にゐるけだもの(獣)を言向け(ことむけ)和さねばならんぞ
よく話し、教へ、導かねばならん
けものを人間と同じにしようとしてはならん
けものはけものとして導かねばならん
金は金、鉛(なまり)は鉛ぞ
鉛を金にしようとしてはならん
鉛は鉛として磨かねばならんぞ
浄化とはそのこと

心の窓を大きくひらいて、小さい我の慾をすてると、遠くが見えてくるのぢゃ

自分だけではうれしうれしとならん
うれしくないものは弥栄(いやさか)しないぞ

冬になったら冬ごもりぞ
死ぬ時には死ぬのが弥栄(いやさか)ぞ
遊ぶ時は遊ぶがよいぞ
コト(言/事)と、時と、その順序さへ心得て御座れば、何をしても、何を話しても、何を考へてもよいのぢゃ

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  • 最終更新:2018-02-16 21:08:15

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